大判例

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和歌山地方裁判所 昭和63年(わ)419号 判決

主文

被告人を懲役五年に処する。

未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入する。

昭和六三年一一月一日付け起訴状記載の公訴事実については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、和歌山県伊都郡高野町大字高野山〈番地略〉所在の宗教法人甲院の住職(代表役員)の長男であるが、第一 亡祖父より同人が甲院の東に隣接する同町大字高野山〈番地略〉所在の宗教法人乙院の先代住職から迫害を受けた事実を聞かされていたことなどから、かねてより右乙院に対して恨みの気持ちを有していたところに、自己の甲院における生活が単調で面白くないとの不満が重なり、右乙院(代表役員乙野正男)所有の建物(木造平屋建ないし一部木造二、三階建建物、延建築面積約三一〇一平方メートル)に火を放ってその恨み及びうっ憤を晴らそうと企て、昭和六二年一二月七日午前一時ころ、右乙院本堂において、所携のライター及び点火したローソクで右本堂内の位牌二柱及び障子五枚にそれぞれ火を放ち、同院寺生森本隆志ら八名が現に住居に使用している同建物を焼燬しようとしたが、自然鎮火したため右位牌及び障子の一部を焼燬したにとどまり、その目的を遂げなかった

第二 前記宗教法人甲院(代表役員吉川一郎)所有の甲院建物(一部木造平家ないし二階建、一部鉄骨ないし鉄筋コンクリート造三階建建物、延建築面積4773.691平方メートル)に、実父吉川一郎、義母吉川春子ら家族四名及び寺生ら一六名と居住していたものであるが、右一郎及び春子が宿坊経営等に忙しいため、同人らとの団らんの機会が少なく、右春子と親密になれないことから孤独感を抱き、右甲院建物が焼失すれば宿坊経営が中止となり、家族のみの生活が可能となって右春子とも親密になれるのではないかと考え、同建物に放火しようと企て、昭和六三年七月一五日午前四時一五分ころ、同建物二階「梅の間」西側廊下において、同所横の押し入れに置かれていた紙袋及び布切れに所携のライターで点火して火を放ち、右紙袋等を介して右押し入れ板壁等に燃え移らせ、よって前記吉川一郎ら二〇名が現に住居に使用している同建物二階部分の天井、柱等約一九八平方メートルを焼失させて同建物を焼燬した

ものである。

(証拠の標目)

括弧内の甲乙の番号は証拠等関係カードの検察官請求番号を示す。

判示事実全部について

一  被告人の当公判廷における供述

判示第一の事実について

一  被告人の検察官調書(乙一八ないし二一)及び警察官調書(乙一二、一四ないし一七)

一  森本隆志(甲一一三、一一四)、佐々野武志(甲一一五、一一六)、今津幸男(甲一一七)及び吉川一郎(甲一三七)の各警察官調書

一  検察事務官作成の報告書(甲一三八)

一  警察官作成の捜査関係事項照会書(登記簿謄本三通を含む)(甲一一二)、実況見分調書(甲一二四)、検証調書(甲一二五、一三二、一三三)、写真撮影報告書(甲一二六)及び捜査報告書(甲一三一)

判示第二の事実について

一  被告人の検察官調書(乙九、一〇)及び警察官調書(乙二、七、八)

一  吉川一郎の警察官調書(甲三五)

一  吉川春子の検察官調書(甲四二)及び警察官調書(甲四一)

一  検察事務官作成の捜査報告書(甲三)及び電話聴取書(甲四)

一  警察官作成の実況見分調書(甲五)、検証調書(甲六、一五)及び捜査報告書(甲二一、四八)

(一部無罪の理由)

昭和六三年一一月一日付け起訴状記載の公訴事実(以下、本件という。)は、

「被告人は、甲院住職の長男であるが、同院における生活が面白くないとして不満を抱き、同院西隣の丙院建物(木造平屋ないし二、三階建及び一部鉄骨二階建建物、建坪約三三七四平方メートル)に火を放ってそのうっ憤を晴らそうと企て、昭和六三年四月一八日午前二時三〇分ころ、和歌山県伊都郡高野町大字高野山五七三番地右丙院内新造館一階桜の間において、所携のライターで右桜の間西側ふすまの一部を破り、これに点火して放火し、右ふすまを介して同間天井等に燃え移らせ、よって、同院住職丙村次郎ら一四名が現に住居に使用している同建物を全焼させて、これを焼燬したものである。」

というのである。

そして、公訴事実記載の日時において、丙院内新造館一階桜の間から出火し、同建物が全焼したこと及び右出火原因としては放火以外に考えられないことは当公判廷で取調べた関係各証拠によって認められるところ、弁護人は、右放火は被告人による犯行ではなく、被告人は無罪である旨主張し、被告人も、当公判廷において、右放火は全く身に覚えがない旨弁解するので検討する。

第一  本件証拠関係の特色

一  本件では、犯行の目撃者や犯人を特定しうる物証等もなく、そのため、検察官請求の証拠中、被告人と本件犯行とを結びつける証拠としては、本件についての被告人の自白を録取した被告人の検察官調書及び警察官調書のみであるところ、当裁判所の平成五年二月二五日付け証拠決定(以下「証拠決定」という。)のとおり、その大部分の調書の証拠能力が否定されたことから、結局当公判廷で証拠調べがなされた自白調書としては、被告人の昭和六三年七月一六日付け(乙二三、以下「一六日付け調書」という。)、同月二〇日付け(乙四、以下「二〇日付け調書」という。)及び同月二二日付け(乙二四、以下「二二日付け調書」という。)警察官調書(以下これらを「本件自白調書」ともいう。)だけしかなく、本件が認められるか否かは右自白調書の信用性いかんにかかっている。

二  ところで、右三通の自白調書の内容は以下のとおりである。

(一) 一六日付け調書

「今年四月中頃の午前二時三〇分頃に私方の西となりの丙院の東奥の一階客室に入りその部屋の庭側の障子と押入れのふすまにライターで火をつけ逃げ帰りました。その理由は、以前死んだ祖父から丙院が寺の境界に入りこんでくると云って聞かされたことがあり、それでこの丙院を燃やしてやろうと思ってやった。」旨録取されている。

(二) 二〇日付け調書

「四月の中頃に隣の丙院にも火を付けて全焼させた。」旨録取されているほか、丙院に放火したことを前提とした内容の供述が録取されているものの、本件犯行についての具体的な供述はない。

(三) 二二日付け調書

被告人は、本件犯行を甲院の寺生丁野三郎と一緒に実行した旨述べたうえ、丙院への侵入方法として「丙院の東側のトイレの窓からトイレ内に忍び込み、丁野に早よ入って来いと言って、丁野が窓から入るのを丁野の履いていた茶色の皮様の靴を持ってやり手伝ってやりました。」旨、更に、放火の方法として、「私はまず部屋の南側の押入れの襖を持っていたライターの尻で突いて穴を開け、そのライターで穴のところに火を付けました。襖が燃え出しましたので端に居た丁野に早よ早よと言いながら、部屋の北側の障子のところで、その持っていたライターを渡し、私が丁野のライターを持っていた手をつかんで障子に穴を一回開けたのです。そこで丁野の手を離すと丁野は持っていたライターで障子の穴の所に火を付けた。」旨、それぞれ録取されている。

三  このように、本件自白調書に録取された内容は、二〇日付け調書は全く具体性を欠き、また一六日付け及び二二日付け調書にしても詳細かつ具体的なものであるとまではいい難いものであるが、これら自白調書は、証拠決定で認定したとおり、いずれも被告人が判示第二の甲院放火の被疑者として取調べを受けていた時期に作成されたものであるから、余罪である本件犯行についての自白の内容が、概括的かつ抽象的なものであるのはむしろ自然であるから、そのこと自体から直ちに本件自白調書の信用性が減殺されることにはならない。

第二  そこで、以下に本件自白調書につき(1)右自白が自発的になされたものか否か、(2)右自白の内容に秘密の暴露にあたる供述があるか否か、客観的事実と齟齬し、あるいは不自然、不合理な点が含まれていないかのほか、本件自白調書以降の供述に変遷がないか等の点について検討することとする。

一  本件自白調書に録取された供述の自発性について

(一) 本件自白調書作成の状況

一件記録によれば、本件証拠決定で認定したとおり、次の事実が認められる。

1 被告人は、昭和六三年七月一五日午前四時過ぎに発生した甲院の火災について、同院住職の長男で、しかも右火災の第一発見者でもあったため、同日午前九時ころから、高野山幹部派出所において、参考人として橋本警察署の奥刑事係長に甲院火災発生の前日から火災発生時までの行動や火災発見時の状況等について事情を聞かれたが、甲院放火の事実を自白することなく虚偽の事実を供述していた。そして、午前一〇時ころからは、和歌山県警察本部捜査第一課特捜班所属の坂本優巡査部長に同様に事情を聞かれ、当初は虚偽の事実を供述していたものの、火災の発生場所が火災報知盤を見て分かったなどと述べていた点につき、被告人と同時に別室で事情を聞かれていた被告人の父一郎の供述から、右火災報知盤を見ただけでは火災発生場所が特定できないことが判明したため、坂本に右供述の矛盾点などを追及された結果、夕方ころ、坂本に甲院を放火したことを自白し、午後六時一〇分ころから行われた同特捜班班長である武田全弘警部による事情聴取の際にも甲院放火を自白したが、判示第一の乙院の放火未遂事件及び本件を含む余罪については否認した。そこで武田らは、右余罪の追及はそれ以上行わずに、甲院の放火事件の逮捕状請求手続をとるため、同日付けの被告人の警察官調書の作成などを進め、同日午後一一時ころ、留置設備のある橋本警察署に被告人を同行したうえ、翌一六日午前零時一〇分ころ、同所において、甲院放火の被疑者として被告人を通常逮捕し、同署に留置した。

2 七月一六日の取調べは、午前一一時ころから始まったが、午前中は実質的な取調べは行われず、午後零時四六分ころからの取調べで、坂本が身上関係を聴取していたところ、被告人が甲院のほか乙院、本件、Sモータース、乙院の裏山の各放火を自白したことから、一六日付け調書が作成された。

ただし、被告人は、高野山における一連の連続放火のうちの一件と目されていた三宝院の放火については否認した。

3 翌七月一七日から同月二〇日までの取調べにおいて、被告人に対して供述の強要が行われたと疑われるような事実はなく、そのような状況の下で二〇日付け調書が作成された。

4 その後七月二一日から八月二日までの取調べにおいても、被告人に対して供述の強要が行われたと疑われるような事実はないものの、被告人は、この間の取調べを厳しいものと受け止めており、そのような状況の下で二二日付け調書が作成された。

(二) 右のような取調べの経緯の下に作成された本件自白調書は、いずれもおおむね被告人の自発的な供述を録取したものと認められ、特に一六日付け調書は、身柄拘束の事由となった甲院の放火事件についてさえ未だ本格的な取調べがなされる以前の、身柄拘束後間もないうちに作成されたものであるうえ、右調書中には、前記のとおり、甲院の放火のほか、本件、乙院の放火未遂等四件の放火を供述している一方で、三宝院の放火については否認していることからすれば、右一六日付け調書に録取されている被告人の供述の自発性は顕著であるといえる。

しかし、他方、二二日付け調書は、被告人が警察官による取調べを厳しいものと受け止めている中で作成されたものであるうえ、後に指摘するとおりその内容には明らかに虚偽の事実が含まれていることなどからすれば、一六日付け調書と比べると、二二日付け調書に録取された供述については、全く自発的に行ったとまでは認めがたい。

二  自白内容の検討

(一) 秘密の暴露の有無について

本件自白調書に録取された自白には、あらかじめ捜査官の知りえなかった事項で自白に基づいて捜査した結果、客観的事実であると確認されたというもの(いわゆる「秘密の暴露」)に相当するもの)は見当たらず、本件自白調書に録取された自白内容自体から積極的に右自白の真実性を肯定しうる事情は認められない。

(二) 客観的事実との整合性等について

本件自白調書中、一六日付け調書及び二〇日付け調書は、その内容が抽象的概括的なものであるため、詳細に検討すべき内容を含んではおらず、客観的事実との整合性を検証しうるのは、二二日付け調書だけであるので、以下これについて検討する。

1 丁野三郎が共犯者であるとの点について

この供述が虚偽であって、この点についての供述が客観的事実と一致しないことは、関係各証拠により明かである。

2 丙院への侵入方法について

(1) 弁護人は丙院の東側のトイレの窓の高さが地表から一五五センチメートルあることから、右場所からの侵入は不可能ないし著しく困難であり、この点の供述は、客観的事実と矛盾するか少なくとも不合理であると主張する。

(2) しかしながら、警察官作成の実況見分調書(甲一五〇)によれば、丙院の東側トイレの窓の高さは一五五センチメートルであるが、同所付近の土地は約三〇センチメートル高くなっているうえ、地上から五〇センチメートルの位置に横に水道鉛管が設置されていることからすれば、被告人が右鉛管を足場にして右トイレの窓から侵入することは必ずしも不可能ではなく、したがってこの点についての右供述が客観的事実と矛盾するとまではいえない。

3 点火方法について

(1) 警察官作成の実験結果報告書(甲一五六)によれば、二二日付け警察官調書に録取された前記点火方法によって、ふすまは燃焼したが、当裁判所の平成四年一一月二日付け検証調書によれば、右点火方法によっては、ふすまが燃え上がらずに自然鎮火してしまい、相反する結果が得られているところ、右実験ないし検証に使用されたふすまの材質、構造、作成時期については、証人宮島秀世の当公判廷における供述によれば、実験に使用したふすまは、丙院においていかなる材質のふすまが使われていたのかの点について全く考慮することなく、廃棄物処理場から収集してきた一般住宅用のふすまに、燃焼実験前にふすま紙を一枚上張りしたものであることが認められるが、その材質、構造等については明かではなく、一方、弁護人作成の一九九二年一〇月二日付け報告書(弁二五)によれば、前記検証に使用されたふすまについては、上張りに鳥の子三号、みの張りに反故生漉楮紙、袋張りに茶泛を使用して、燃焼実験のために新たに作成したものであることが認められる。

(2) ところで当裁判所が取調べた全証拠によっても丙院内新造館一階桜の間のふすまの材質、構造がいかなるものであったか確定できないが、証人木村恒夫の当公判廷における供述によれば、昭和五八年ころに丙院新館に新調したふすまは、上張りとして鳥の子三ないし四号を使用し、下張りとして茶泛及び生漉の紙を使用していることが認められることからすれば、検証に使用された前記ふすまの材質、構造と、昭和六三年四月当時丙院で使用されていたふすまの材質、構造が類似していた蓋然性が高いと考えられる。ただし、証人黛雅彦の当公判廷における供述によれば、丙院内新造館一階桜の間のふすまの経年劣化は容易にふすまの表面が破損し得るほど進んでいたものと認められ、その劣化の程度において、検証に使用したふすまと丙院内新造館一階桜の間のふすまとでは相違があると認められる。

(3) そうだとすれば、材質、構造において類似したものと考えられるふすまが、二二日付け警察官調書に録取された点火方法では燃え上がらずに自然鎮火してしまう以上、丙院内新造館一階桜の間のふすまほど経年劣化が進んだ場合に、その劣化が燃焼作用へいかなる影響を及ぼすかは明らかではないものの、少なくとも、二二日付け警察官調書に録取された、ふすまに穴を開けてライターで火を付けるという点火方法によってふすまが燃え上がるという事実は、当裁判所が取調べた全証拠によっても、客観的には確認できない。

(4) なお、この点について付言するに、前記のとおり検証に使用したふすまが、経年劣化等の関係で検証の資料として適切でないきらいがあることから、期日間の事前準備において、検察官、弁護人双方が、前記検証後に取り調べた前記証人木村恒夫や同黛雅彦らの供述から推認される本件当時丙院で使用されていた物に近いふすまをそれぞれ収集したうえで、再度燃焼についての検証を行うことで合意ができ、これに従い、前記の方法で燃え上がらないことまでの立証責任を負わない弁護人が、敢えて燃え上がるかもしれない危険を犯してまでこれを収集して検証の資料を準備したにもかかわらず、検察官は時間的余裕がない等を理由にこれをなさなかったため、結局検証が行えなかったもので、検察官はこの点の立証を放棄したものといわざるをえない。

三  供述の変遷について

証拠決定認定のとおり、被告人は、二二日付け調書のあと、自白、否認を繰り返し、最終的には黙秘するに至っている。

四  検討

(一) 前記第二・一のとおり、本件自白調書に録取された被告人の供述は、その程度に多少の差異はあるものの、全体とすれば概ね自発的になされたものといえ、特に一六日付け調書に録取された供述についてはこのことが明らかであるところ、人は普通好んで自己に不利益な事実を告白するとは考えられないから、本件自白調書の内容はその限りにおいて真実ではないかと考えられる。

(二) そして、被告人が自白した理由として述べるところは、昭和六三年八月九日付け警察官調書(乙二七)によれば、放火をしたと疑われても仕方のない動機を有していたため、警察官から追及を受ける前に自ら供述したというものであって、その理由は不自然不合理であり、他に被告人が自発的に虚偽の自白をすることについて合理的に説明しうる事情は認められない。

してみると、本件自白調書が作成されるに至った外部的事情に限ってみれば、その信用性は一応推認される。

しかしながら、前記認定のとおり、二二日付け警察官調書の内容は、共犯者についての供述が虚偽であるほか、犯行態様の中核的部分である点火方法についても、その方法で燃焼することが客観的に裏付けられていないことからすれば、本件自白調書の内容を検討する限りでは、その体験供述性に疑問があるといわざるを得ない。

確かに、犯人が自白をするに際し、すべてについて真実を語るとは限らず、自己の刑責を軽くするため、あるいは捜査を混乱させるためといった種々の思惑から、共犯者を引き込む等虚実を織り交ぜて供述することも往々にして見られるところであって、自白調書中に虚偽の事実があるからといって、そのすべてについて体験供述性が直ちに否定されるというわけではない。

しかしながら、本件において、犯行のまさに中核的部分であり、かつ、ことさら嘘を言う必要のない点火方法についての自白が前記のとおり客観的に裏付けられていないことは、その自白の信用性を根幹から揺るがす事情といわざるをえないこと、共犯者を持ち出した点も、容易に嘘であることが発覚する事柄で、現に、証拠決定に認定のとおり被告人はその後簡単にこれを訂正していることからすれば、刑責の軽減を図るため等の共犯者の引き込みとも断じがたいこと、加えて、証拠決定に認定のとおり、本件自白調書以降における自白、否認を繰り返す供述態様は極めて特異であって、被告人の自白が自発的な供述から始まっていることを考慮にいれても、なお供述全体の信用性を疑わしめる事情であるといわざるをえないことのほか、本件自白調書の作成時、被告人は一九歳という少年であり、知的水準も平均を下回る能力しか有していなかったこと等からすれば、被告人が前記のような意図のもとに自白したというよりは、むしろ右自白の内容を体験していないからこそ、虚偽の供述をしているのではないかとの疑いを払拭できず、したがって、本件自白調書に信用性を認めるにはなお合理的疑いが残るといわざるをえない。

第三  以上のとおり、本件において被告人と本件犯行とを結びつける唯一の直接証拠である本件自白調書に信用性が認められない以上、結局本件公訴事実についてはその証明が不十分であって、犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し、本件公訴事実につき無罪の言渡しをする。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法一一二条、一〇八条に、判示第二の所為は同法一〇八条にそれぞれ該当するところ、各所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は被告人が日常生活でのうっ憤等を晴らすために隣接する乙院に放火したが、障子等を焼燬しただけで自然鎮火してしまったという現住建造物等放火未遂と家族との団らんの機会を得るため、宿坊の経営を中止させようとして自己が家族らと居住する甲院に放火して、その一部を焼燬させたという現住建造物等放火の事案であるが、いずれも木造の建物に深夜火を放ったものであって、当該建物が全焼し、あるいはその現住者らに危害の及ぶ危険性が高かったことはもとより、その周囲には木造の寺院が立ち並び、山林も接していたことから、自然鎮火せず、あるいは消火活動が遅れれば、思わぬ大火となり、多大な人的損害ばかりでなく、貴重な文化財をも消失させかねなかったもので、極めて危険な態様であったこと、乙院への放火未遂では、信仰の対象となる位牌などを焼損させ、甲院への放火ではその一部を焼燬し多額の財産的な損害を発生させ、現住者らに恐怖感を抱かせたばかりでなく、わずか六か月あまりの間に連続して放火したことで、折から高野山では不審火が連続して発生していたこともあって、付近住民らに与えた不安にも無視できないものがあること、本件各犯行は、歴史的に由緒があり、多数の信者をかかえる霊場高野山において、寺の住職の子供で、時には自らも父に代わって檀家の法要などもしていた被告人が、信仰の場である寺に判示のような自己中心的な動機から敢行したものであって、同情の余地のないこと、本件各犯行による損害についてなんら弁償等がなされていないこと、本件犯行当時、被告人は家や親類から多額の金員を持ち出し、女遊びなどの遊興にふけるなど、少年とは思えない乱れた生活をしていたことなどの諸事情を考慮すれば、被告人の刑事責任は重大であるといわざるを得ない。

しかしながら、いずれの事案においても人命には損害は発生しておらず、乙院への放火は未遂にとどまったこと、被告人は本件各犯行時一九歳の少年であったこと、被告人には前科前歴はなく、いまだ若年で、本件各犯行について被告人なりに反省しているうえ、実父らがその指導監督を約束していることなど、被告人に有利に斟酌し得る事情もあるので、これら有利な事情を最大限考慮すれば、主文の刑を科するのが相当と考える。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官瀧川義道 裁判官荒木弘之 裁判官新谷晋司)

《参考・証拠決定》

主文

別表一記載の番号一ないし七、九、一三、一五、一七、三六の各証拠を取り調べ、番号八、一〇ないし一二、一四、一六、一八ないし三五の各証拠の取調請求を却下する。

理由

第一 被告人の本件各供述調書等の証拠能力に関する弁護人及び検察官の主張

一 弁護人

弁護人橋本敏ほか三名作成の平成四年(一九九二年)一一月一〇日付け「意見書」と題する書面記載のとおりであるから、これを引用するが、その要旨は、別表一記載の各証拠中、被告人の司法警察員に対する各供述調書及び被告人作成の自供書は、取調の警察官において、同人らから暴行や脅迫を受けるなどして、極度に畏怖している被告人の精神状態を利用したほか、黙秘権の告知をせず、あるいは黙秘権及び弁護人依頼権を実質的に侵害し、更には保釈等の話で被告人を利益誘導するなどして獲得した自白を録取し、あるいは作成させたものであるから任意性がなく、また、被告人の検察官に対する各供述調書は、検察官と警察官が表裏一体となって警察官による右のような違法な取調がなされ、その結果獲得された自白を録取したものであるから、これらについても任意性がなく、結局、別表一記載の各証拠にはいずれも証拠能力がない、というのである。

二 検察官

検察官作成の平成四年一一月一〇日付け「意見書」と題する書面記載のとおりであるから、これを引用するが、その要旨は、被告人に対する取調において、取調の警察官が被告人に暴行や脅迫を加えた事実はなく、被告人を被疑者として取調を始めてからは黙秘権を告知しており、実質的にも黙秘権や弁護人依頼権を侵害した事実もなく、また、警察官が保釈の話をしたのは、被告人から尋ねられたことがきっかけであり、その際にも警察官は確実に保釈が認められるなどと断言してはいないのであるから、利益誘導に当る事実もなく、したがって、別表一記載の各証拠に任意性が欠けるところはない、というのである。

第二 当裁判所の判断

一 被告人が取調を受けるまでの経緯

一件記録によれば、次の事実が認められる。

高野山では、昭和六二年一二月五日にSモータース、同月七日に乙院、昭和六三年四月一八日に丙院でそれぞれ火災があったほか、三宝院や乙院の裏山でも火災があり、相次ぐ火災に捜査当局はこれを不審火と判断して捜査していたところ、同年七月一五日午前四時過ぎに甲院でも火災が発生し、同院住職の長男である被告人が第一発見者であったことから、捜査当局は被告人を参考人として事情聴取することとした。

二 被告人の身柄関係等

一件記録によれば、次の事実が認められる。

1 被告人は、昭和六三年七月一五日午前九時ころから、高野山幹部派出所において、参考人として事情を聴かれ、夕食をとるころまで事情聴取を受けた後、同日午後一一時ころ橋本警察署に移り、翌一六日午前零時一〇分ころ、同署において、甲院放火の被疑者として通常逮捕され、同署留置場に留置された。

2 被告人は、右逮捕に引き続いて同月一七日橋本警察署留置場に勾留され、同年八月五日観護措置決定を受けて、和歌山少年鑑別所に移監された。

3 被告人は、同月二五日、和歌山家庭裁判所の検察官送致決定を受け、同日丸の内拘置支所に移監され、同年九月一日、甲院の放火事件で和歌山地方裁判所に起訴された。(昭和六三年(わ)第四一九号事件)

4 被告人は、同月三日、橋本警察署留置場に移監された後、乙院の放火未遂の被疑事実で同日午後一時に再逮捕され、同月五日一旦勾留請求が却下された後、同月六日準抗告裁判所により同署留置場に勾留され、同月二四日、乙院の放火未遂事件で追起訴(昭和六三年(わ)第四六七号事件)されたが、その後も同年一〇月七日に至るまで、同署留置場に勾留された。

5 そして、被告人は、同日、丸の内拘置支所へ移監された後、同月一一日に、丙院の放火の被疑事実で再々逮捕され、同月一三日、丙院の放火及びSモータースの放火の各被疑事実で同拘置支所に勾留され、途中同月一五日から一六日にかけて、検証のため橋本警察署留置場に移った時を除いて、引き続き同拘置支所に勾留され、同年一一月一日、丙院の放火事件で追起訴された。(昭和六三年(わ)第五五七号事件)

三 被告人の供述内容及びその変遷経過

一件記録によれば、以下の事実が認められる。

1 昭和六三年七月一五日

(一) 被告人は、参考人として事情を聞かれていた当初は、甲院の放火を自白することなく、火災発生前日及び火災発生時の行動について虚偽の事実を供述していたが、夕方ころに至り、甲院の放火を自白し、供述調書が作成された。また、被告人は、甲院以外の放火については否認した。

(二)(1) ところで、被告人は、公判廷において、この日に、丙院、乙院、Sモータース等の各火災の件(余罪)についても、後記四1(二)に記載するような理由から、自分が放火した旨自白したと供述する。

(2) しかしながら、被告人が甲院以外の放火を自白したのであれば、捜査当局は不審火として捜査を続けていたのであるから、ごく簡単なものにせよ、その旨の供述調書がこの日に作成されてしかるべきであるのに、そのような調書は作成されていないこと、被告人は、甲院以外の放火を自白したのは、警察官武田全弘の取調を受ける前であったと供述するところ、この日作成された唯一の被告人の供述調書は、別表一、番号一のもののみで、これは武田作成のものであるが、その中には、被告人が甲院の放火を決意するくだりで、「高野山では昨年の暮頃から、あちこちで火事がありその犯人が捕まらないので、僕が火をつけても判らないやろうと思うようになりした」といった、むしろ被告人が甲院以外の余罪を自白していないことを前提とするかのような記載があること、鑑別所に入所中に作成された被告人の司法警察員に対する供述調書(弁護人が同意して既に取調済の検察官請求番号乙二七号)にも、甲院以外の放火を認めたのは逮捕の翌日である旨の記載があり、右調書作成時である昭和六三年八月九日の時点では、被告人が七月一五日に甲院以外の放火を自白したか否かは問題になっていないのであるから、この点につき殊更虚偽の事実を記載することは考えられないことからすれば、この日被告人の取調に当った警察官阪本優及び武田全弘の証言のとおり、被告人は、この日は甲院以外の放火については否認していたものと認められる。

(3) この点につき、弁護人は、昭和六三年九月二一日の警察官による被告人の取調状況を録音した九号テープには、取調官が被告人に対し「あの一五日のことを思いだしてみい……(中略)……そのときに泣いて言うたことがやっぱりほんまやで。ね。」と発言している部分があり、右の発言は、被告人が七月一五日に甲院以外の放火を認めさせられたことを物語る旨主張するが、右の部分の直前には一六日の取調の話も出ており、その前後の話の流れからすると、右発言が、七月一五日に被告人が甲院以外の放火を認めたことを前提としているか必ずしも明らかでなく、取調官が念頭に置いていたのは、その日に甲院の放火について否認から自白に転ずる際に被告人が示した反省の情であるとも考えられるのであって、右テープ中の取調官の発言は、前記認定を左右するものではない。

(三) したがって、七月一五日の時点では、被告人は甲院の放火のみを自白し、その他の放火については否認していたと認められる。

2 昭和六三年七月一六日

被告人は、警察官に対し、甲院の放火に加え、丙院、乙院、Sモータース及び乙院の裏山の各放火をも自白するに至ったが、三宝院の放火は否認している。

3 昭和六三年七月一七日

被告人は、検察官による弁解録取の際、甲院の放火を自白している。

もっとも、被告人は、公判廷において、この日、検察官に丙院の放火について取調を受け、これを否認したかのように供述するが、被告人の記憶自体曖昧である上、被告人の取調を担当した検察官である須藤政夫は、この日には甲院以外の放火の事実は訊いていないと証言していること、一件記録によれば、被告人は、この翌日に弁護人と接見した際にも、丙院の件を否認していないことが認められることからすれば、被告人はこの日検察官に対し丙院を否認したことはないと認められる。

4 昭和六三年七月一八日から同月二一日

この間被告人の供述に変遷はない。

5 昭和六三年七月二二日

被告人は、丙院の放火について、共犯がいる旨述べ、従前の単独犯である旨の供述を変更している。

6 昭和六三年七月二三日から同年八月一日

この間被告人の供述に変遷はない。

7 昭和六三年八月二日

初めての本格的な検事調べが行われたが、その際、被告人は検察官に対し、甲院の放火のみを認め、丙院等その他の放火を否認するとともに、警察で丙院等の放火を認めたのは、警察官から怒鳴られたり、頭を手で小突かれたりして怖くなったからである旨訴えている。

8 昭和六三年八月三日

被告人は検察官に対し、甲院及び乙院の放火を認めたが、丙院及びSモータースの放火を否認し、その際、検察官は、被告人から、警察官に対する自白調書と検察官に対する自白調書で裁判になった時証拠として差異があるか尋ねられ、任意性があれば同等の証拠になる旨説明し、一方、検察官から質問の意図を尋ねられた被告人は、弁護人から、検察官に対する自白調書の方が警察官に対するそれよりも信用性が高く、後に覆すことが困難になる旨言われたと答えている。

そして、その後の警察官の取調においては、被告人は、検事調べの時とは異なり、丙院及びSモータースの放火を認めると共に、丙院の放火については共犯はおらず、自己の単独犯である旨従前の供述を変更している。

9 昭和六三年八月四日

被告人は、検察官に対しては甲院の放火の動機について自白し、その後の警察官の取調べに対しては、甲院のみならず丙院の放火をも自白し、自供書も作成している。

10 昭和六三年八月五日

被告人は、警察官に対し、乙院及びSモータースの放火を自白し、自供書を作成している。

11 昭和六三年八月六日から九日

被告人は、九日の警察官の取調に対し、甲院及び乙院に放火については自白を維持するが、丙院の放火については否認に転じている。

12 昭和六三年八月一〇日から同年九月二日

この間被告人の供述に変遷はない。

13 昭和六三年九月三日

被告人は、警察官の取調で、丙院の放火について自白に転じている。

14 昭和六三年九月四日から一〇日

この間の被告人の供述に変遷はないが、被告人は、同月六日ころ、丙院の放火については、警察官に心の整理をするまで調書の作成を二、三日待って欲しいと述べている。

15 昭和六三年九月一一日、一二日

被告人は、このころ一旦警察官に対して丙院の放火を否認するが、一二日の取調終了時には自白するに至っている。

16 昭和六三年九月一三日

被告人は、検察官に対し、丙院の放火を否認するが、その一方で、丙院を放火した旨の自白調書を作成して欲しいと述べ、その理由として、警察官から頭を殴られたり腹を蹴られたりの乱暴を受け、もはや絶えられないからであると訴えている。

17 昭和六三年九月一四日から二〇日

この間被告人は、警察官には丙院の放火を自白するが、検察官には否認している。

18 昭和六三年九月二一日

被告人は、高野山での丙院放火の犯行再現の実況見分が行われた後、検察官に対し初めて丙院の放火を自白するに至るが、調書に署名することは、心の整理ができていないと述べて拒否している。

19 昭和六三年九月二二日

被告人の供述に変遷はない。

20 昭和六三年九月二三日

被告人は、検察官に対して、丙院の放火を自白したのみならず、調書の作成にも応じ、これに署名、指印している。

21 昭和六三年九月二四日から同年一〇月一二日

この間被告人の供述に変遷はない。

22 昭和六三年一〇月一三日

被告人は、丙院及びSモータースの放火を被疑事実とする勾留質問において、裁判官に対し、丙院の放火を否認したが、その後の検察官による取調において、丙院の放火を自白している。

23 昭和六三年一〇月一四日から一六日

この間、被告人は、警察官に対しても検察官に対しても丙院放火の自白を維持しており、供述の変遷はない。

24 昭和六三年一〇月一七日

被告人は、検察官に対して丙院の放火について黙秘したが、警察官にはこの点の自白を維持している。

25 昭和六三年一〇月一八日

被告人は、検察官に対して、再び丙院の放火を自白し(もっとも、犯行場所への侵入経路や動機について、これまでの供述とは全く異なる供述をしている)、警察官に対しても、この点の自白を維持している。

26 昭和六三年一〇月一九日以降

被告人は、検察官に対して丙院の放火について終始黙秘している。

なお、この間に作成された供述調書及び自供書は別表二記載のとおりである。

四 被告人の取調状況

1 昭和六三年七月一五日

(一) 一件記録によれば、次の事実が認められる。

この日被告人は午前九時ころから、高野山幹部派出所において、橋本警察署の奥刑事係長に甲院の火災発生の前日から火災発生時までの行動や火災発見時の状況等について事情を聞かれ、午前一〇時ころからは、和歌山県警察本部捜査第一課特捜班所属の阪本優巡査部長に、午後六時一〇分ころから同特捜班班長である武田全弘警部に事情を聴かれた。

被告人は、事情聴取の当初は甲院への放火を否認し、前日の行動や火災発見時の状況について虚偽の事実を供述していたが、右供述の矛盾点を追及され、夕方ころ、阪本に甲院を放火したことを自供し、次いで武田による事情聴取の際にも甲院放火を自供した結果、別表一、番号一の供述調書が作成された。

(二) ところで、被告人は、この日の取調状況について、公判廷において、大要次のとおり供述する。

すなわち、「甲院の火災の前後の行動について訊かれているうちに、阪本から追及を受けて甲院の放火を認めたが、その後他の放火を追及され、それを否認すると『今もずっと嘘ついてきたんやないか、もう顔見たらわかっとるんや。』『やってるのはお前や。』などと怖い顔をして決めつけられたほか、『水飲みたなるのは嘘ついているからのどかわくんや。』などと言って水を自由に飲ましてもらえず、『黙っとったら帰れると思とるやろけど、そんな帰れへんで。』『ずっと入っとってもらわなあかんで。』と脅され、更に、『嘘発見機にかけるぞ。』と言われたのに対し、『かけてください。』というと、『おまえ嘘ついとるから全身すごい痛み走ってビリビリと来るんやぞ。』と脅された上、『わしもじっと黙っとるけどもどないなるかわからんぞ。』などと言われて恐ろしくなり、結局、乙院、丙院、Sモータース及び乙院の裏山についての放火をも認めた。この日は一切黙秘権の告知はなかった。」というのである。

(三)(1) しかしながら、前記三の1で認定したとおり、そもそもこの日被告人は、甲院以外の放火については自白していないのであるから、自白させられた原因として被告人が供述するところはたやすく信用できないことに加えて、被告人は、この日三宝院の放火については否認したというのであるが、被告人は、その供述するような方法の取調を受け、甲院のほか四件の放火も認めたといいながら、何故三宝院のみ否認できたのかについて合理的説明がなく、この点においても被告人の右供述は不自然であること、甲院の放火自体現住建造物放火の既遂という重大な事件であり、それについて被告人が自白した以上、これを被疑事実として被告人を逮捕、勾留できるのであるから、捜査官としては、被告人の身柄をとった後に甲院以外の取調をすれば足りるのであって、このような早い時点で脅迫等を加えてまで、余罪について自白を強要する必要もなかったと考えられることからすれば、阪本及び武田の証言のとおり、同人らは甲院の放火事件の逮捕状請求手続きを優先させ、余罪の追及を厳しく行なわなかったもので、被告人の供述するような脅迫等が行なわれた事実はなかったと認められる。

(2) なお、阪本は、被告人に嘘発見機の話をしたが、その際にビリビリくるというようなことを話したかもしれない旨証言し、その限りでは被告人の供述に合致しているが、他方、右は雑談をしていた時のことであるとも供述しているところ、右の話が自白の契機となるような重要な場面で、自白を強要する趣旨で出たのであれば、その時期や場面については、被告人においてほぼ明瞭に記憶されていてしかるべきはずであるのに、被告人自身、右の話がされた時期、場面について、甲院の放火について自白後、余罪を追及されているときであると一貫して述べているわけではなく、甲院の放火について自白をする前であると述べたりもしていて、その供述に一貫性がなく曖昧な点もあることからすれば、嘘発見機にかけるとビリビリくるといった趣旨の話は、自白の契機となるような重要な場面で交わされたものでも、自白強要の手段として話されたわけでもないと認められる。

(3) また、一件記録によれば、奥及び阪本は、被告人から事情を訊く際に黙秘権を告知していないことが認められるが、それは被告人を火災の第一発見者として参考人の立場で、火災発見の状況等に関して事情を訊いていたにすぎないからであり、このように参考人の事情聴取の際に黙秘権を告知しないことは、別段違法とはいえないし、武田の証言によれば、同人は被告人を被疑者として取り調べる際には分かりやすく黙秘権を告知していることが認められるから、黙秘権の保障という面からも、何ら取調手続きには違法、不当な点は認められない。

(四) したがって、この日の取調べにおいては、被告人に対し、その意に反する供述を強要するような外部的事情は、何もなかったと認められる。

2 昭和六三年七月一六日から同月一八日

一件記録によれば、この間被告人に対し、その意に反する供述を強要するような取調が行なわれていないことは明らかである。

3 昭和六三年七月一九日、二〇日

(一) 被告人は、この両日の取調について、「甲院放火の動機について阪本から厳しい追及を受け、当初動機がないと述べると、『そんな理由もなしにいくんやったら放火魔や。』などと言われ、『ちゃんとせい。立て。』と怒られ、立たされた。」旨述べ、一方、証人阪本は、「七月二〇日に限らないが、被告人が取調中に落ち着きなく立ち上ったりするので、『座っとけ。』『背筋を伸ばせ。』などと叱っただけである。」旨述べる。

(二) しかしながら、被告人は、前記のように、七月一五日に甲院の放火を自白し、翌一六日には乙院、丙院等の放火についても自白した後、この両日に至るまで右自白を維持し、供述を変えたり、拒否する態度には出ていないのであるから、取調の警察官において、仮に被告人が動機がないと述べたとしても、そのことだけで殊更厳しい追及をするとは考えられない上、そもそも、甲院放火の動機について、七月一九日に作成された別表一、番号三の供述調書には、家族だけで生活したかったからといった趣旨の供述が録取されているところ、七月一五日に作成された別表一、番号一の供述調書中には、既に同趣旨の供述が録取されていること、また、七月二〇日に作成された別表一、番号四の供述調書には、甲院の放火について計画性を否認する内容の供述が録取されていることからすれば、阪本の証言するとおり、甲院の放火の動機を追及するため、被告人を立たせるというようなことはなく、被告人に対して取調の警察官がその意に反する供述を強要した事実はなかったものと認められる。

4 昭和六三年七月二一日から同年八月二日

一件記録によれば、この間の被告人の取調において、その意に反する供述の強要となるような事情はなかったと認められる。

もっとも、前記三7で認定したとおり、被告人は、八月二日の検事調べの際に、検察官に対し丙院等の放火を認めたのは、警察官から怒鳴られたり、頭を小突かれるなどして怖くなったからである旨訴えているけれども、先に認定したとおり、同日までの間に、取調警察官が供述の強要と見られるまでの取調方法はとっていないのであるから、検察官に対する右訴えは、多分に誇張されたものであると思われる。ただし、一件記録によって認められる、この時期における弁護人との接見の様子をも考え合わせると、被告人がそれまでの警察官の取調を厳しいものと感じていたことは窺える。

なお、別表一、番号五の供述調書には、七月二二日に、被告人が、丙院の放火について共犯者がいる旨明らかに虚偽の事実を供述したことが録取されているところ、右虚偽の供述をした理由として、被告人は「丙院の放火を自白するよう強要されて、やむなく自白したものの、自分がやってないことを分かってもらうために共犯者の話をし、その者を調べて、同人が犯罪を行っていないことが明らかになれば、自分の無実が分かってもらえるからである。」などと述べているが、そもそも、共犯者と名指しされた者が犯罪を行っていないからといって、そのことの故に直ちに被告人までもが犯罪を行っていないということにはならないのであって、右の被告人の弁解自体が不合理である上、一件記録によれば、右二二日の取調において、被告人がわざわざ阪本に共犯者の刑事責任について尋ねていることなどからすれば、右の虚偽の供述をした被告人の意図が、被告人が右に述べるようなところにあったとは考えられない。

5 昭和六三年八月三日及び四日

(一) 一件記録によれば、この両日の検察官の取調においては、別段その意に反する供述を強要するような事情がなかったことが認められるが、被告人は、橋本署での警察官の取調状況について、大要次のように供述する。

すなわち、「三日の警察での取調において、丙院の放火を否認すると、阪本は怒りだし、『もう今更そんなことを言うてもあかんのや。』と言って、被告人の髪の毛を五本の指でつかんで二、三回引っ張り、右肩を平手で殴り、『痛いとだけは言えるのに他のこと言えんのか。』『もうだれも来えへんのやから、二人だけでおるんやから、なんぼやってもええんや。』『なんぼ言うても無駄や。』『大声だして痛いて言うてもあかんのや。』『殺したろか、この餓鬼は。』と脅され、更に、黙秘権を行使する旨述べると『嘘つくための黙秘権じゃないんや。おまえは嘘つくために使っとんのや。』などと言われて追及された。そして、四日の警察での調べにおいても、その日検察庁で丙院を自白してこなかったことを述べると、阪本が怒りだし、被告人の右脇腹を右足の先で蹴り、被告人が椅子から落ちてうずくまっていると起立させられ、平手またはげんこつで頭頂部を一回全力より少し軽い程度に殴られるなどの暴行を受けたことから丙院の放火を自白し、その後武田が阪本と交代し、『お前やっちゃんねやから、なんぼ言うてもあかん。』『わしゃ刑事で二〇年やっとって、弁護士ら民事とかばっかしやってるんで、そんなん信じておったらえらい目に遭う。』『今言うたら九九パーセント少年院ですむんや。』などといわれ、最後には丙院の放火を自白する自供書を書かされた。」というのである。

(二) これに対し、取調警察官である阪本及び武田の両名は、大要以下のとおり証言する。

すなわち、「三日は、最初阪本が被告人を取り調べ、検察官に対して丙院を否認している理由を追及していたが、被告人が『黙秘権があると聞いてますんでこれからは黙秘します。後のことは警察で勝手に調べて下さい。』と言って供述を拒否したため、阪本に代わって武田が取調を行ない、一時間位の間、祖父、実母、弟の話をし、本当のことを言える人間になれと諭したところ、被告人が涙を流して丙院の放火について自白に転じ、その後再び阪本が武田と交代して取り調べた。四日もまた、検察官による取調の後、橋本署で当初は阪本が取り調べ、被告人が、この日は時間がなくて検察官に丙院の件を話せなかったと述べたことに対し、『お前そんなことまだ言うてるんか。』などと検察官に対して話せるよう説得したが、被告人が腹が固まらないと言ったので、阪本に代わって武田が取調べを行なったところ、被告人が、『検察官の質問は非常に鋭くてそれにうまく自分が返答できない。自分は口下手なんでうまく説明できない。』などと言うので、自供書を書いて検察官に提出することを勧めた。」というのである。

(三)(1) 一件記録によれば、被告人は八月四日の検察官の取調において、検察官に対し、前日の警察官の取調時に暴行を受けたということは、何ら訴えていないと認められること、八月四日の暴行についての被告人の公判廷における供述は、暴行の態様等について、弁護人の質問と検察官の質問とで異なるなど、かなり曖昧な点が見られること等からすれば、この八月三日及び四日に、警察官が被告人にその意に反する供述を強要するために暴行を加えたという、被告人の前記供述がそのまま信用できるわけではない。

(2)  しかしながら、一件記録によれば、八月三日の阪本及び武田による橋本署での取調は、午後六時二五分ころから午後一〇時五七分ころまで、同月四日の阪本及び武田による橋本署での取調は、午後六時七分ころから午後一〇時二三分ころまで行われており、右両日の取調が、未だ少年であった被告人に対し、同人に対する三か月余りにわたる取調の中で、一〇月六日の取調に次いで最も夜遅くまで、かつ、連夜行われていることからすれば、この両日とも、警察官が、丙院の放火を否認あるいは黙秘している被告人を、何とか翻意させ、被告人から再び自白を得ようと懸命になっていたことはほぼ疑いないこと、前記三7ないし9で認定したとおり、被告人は、検察官の取調に対しては、八月二日及び三日に丙院を否認し(同月四日は丙院の放火の取調はしていない)、八月三日及び四日の橋本署での阪本及び武田の取調に対しては、一転して丙院の放火を認め、(なお、この点については、前記三の8で認定したとおり、被告人は弁護人から、警察官調書よりも検察官調書の方が信用性が高い旨教示されていたから、検察官に対しては否認を通すものの、警察官に対しては比較的素直に自白したのではないかとの見方も可能ではあるが、一方で被告人は、八月三日の警察官調べに先立つ検事調べで、検察官から、任意性が認められれば警察官調書と検察官調書では差異がない旨教えられているのであるから、被告人としては警察官に対しても検察官に対してと同様、否認を通したいと思っていたと考えるべきである)、更には、その後和歌山少年鑑別所に移って、同鑑別所内で阪本や武田に取調を受けた時には、再び丙院の放火を否認し、丸の内拘置支所を経て同年九月三日に再度橋本署に身柄を戻されるや、その日のうちに丙院の放火を自白するといった極めて特異な供述の変遷経過をたどっているところ、右の被告人の供述の変遷の理由、とりわけ橋本署における警察官の取調の時にだけ自白する理由は、警察官の橋本署における取調方法にあるとみる以外に合理的な理由が考えられないこと、一件記録によれば、被告人は鑑別所に収容されている間、将来再び橋本署に戻されるのか否かをしきりに気にしていたことが認められることからすれば、この八月三日及び四日の取調において、被告人が公判廷において供述するそのままの態様の取調方法ではないにせよ、それに近い方法により取調警察官によって、その意に反する供述の強要がなされた疑いが高いといわざるを得ない。

6 昭和六三年八月五日

一件記録によれば、この日被告人に対し、供述を強要するような取調が行なわれていないことは明らかである。

7 昭和六三年八月九日から同月二三日

(一) この間の取調について、被告人は大要次のとおり供述する。

すなわち、「丙院について否認をすると、阪本や武田に、『今は我慢してるけども、どうせ戻るようになるんや橋本へ。そのときはお前わかっとんのか。』『どうせ橋本に戻るのは間違いないんじゃ。』『橋本へ帰ったら痛い目に遭うんやぞ。今元気ようやってないて言うてるけども、そんなん言われへんようになるぞ。』『わしの言うたとおりに言うたらさっと進んで罪も軽なるけど、弁護士なんかの言うこと聞いてたらよけいややこしくなって罪も重なる。』などと脅され、更に、阪本がボールペンを投げ付けて被告人の腹に当て、膝で被告人の右腹を蹴り、拳を振り上げるなどの暴行を加えてきたこともある。」というのである。

(二) 被告人の右供述中、警察官から暴行を受けたとの点については、被告人は、鑑別所にいる間は警察官の取調においても丙院の放火を否認し続け、自分の主張したいことを主張できていたと認められること、一件記録によれば、被告人は、既に弁護人から暴行を受けた場合には大声を出して助けを呼ぶように助言をされていたにもかかわらず、鑑別所に入所中、暴行を受けたと申し述べて鑑別所の職員に助けを求めた事実がないと認められること、一般に、警察官が、少年鑑別所という警察とは別個の、他官署の施設において、そこに収容されている者に対し、外部に発覚する危険を冒してまで、暴行というようなひとつ間違えば被告人の身体に痕跡を残すような、あるいは目撃されやすい行為にまで及ぶか疑問であること等からすれば、たやすく信用することはできない。

(三)  しかしながら、昭和六三年九月三日、橋本署に戻るや否や被告人が、取調官から別段追及されたわけでもなければ、否認から自白に転ずるについて、首肯するに足りる契機もないのに、一転して丙院の放火を自白していること、被告人は、鑑別所において、将来再び橋本署に身柄を移されるのか否かをしきりに気にしていたことからすると、警察官は、鑑別所ではある程度被告人の言うがままに任せたものの、橋本署に戻った場合の取調について、被告人の供述に類する言辞を弄していたのではないかとの疑いを払拭できない。

(四)  したがって、この間の取調において、警察官から被告人に対し、橋本署に戻った場合に、丙院の放火を否認することを困難と感じさせるような言辞が用いられたと認められる。

8 昭和六三年八月三〇日

一件記録によれば、この日の取調において、被告人にその意に反する供述を強要するような事実はないことが認められる。

9 昭和六三年九月三日から一〇日

(一) この間の取調状況について、被告人は、大要次のように供述する。

すなわち、「九月三日、橋本署へ移監される車中で、畑下刑事から『阪本刑事ら、もう橋本で待っとるぞ。』『ちゃんとお前言わんか。』などと言われ、橋本署に到着直後、取調室に阪本がやってきて、『おういよいよ帰ってきたな。言うたとおりになったやろ。分かっとるか。』と言われた。九月五日、検察庁に来たとき、同行した武田から『お前そんなん弁護士を選任するんか。』『もうその分を被害者にお金を出すんと違うか。』『そんな嘘をついて踊らされてる弁護士のこと選任するんか。』と言われた。更に、九月六日、弁護人との接見後、畑下から『わしらだいたい分かるんや。おまえのやりそうなことは。』『弁護士の前ではやってないて言うて話をして何か考えとるんやろ。』などと接見内容と同じことを言われた。」というのである。

(二) 被告人が九月三日橋本署に到着したのは、逮捕された午後一時以前であるところ、一件記録によれば、この日、阪本は大阪に出張のため午前一〇時ころに出発し、午後五時ころに橋本署に戻っており、被告人が橋本署に到着したころには、阪本は橋本署にいなかったことが認められるから、被告人が九月三日の警察官の言動について供述するところには、一部虚偽を含んでいるといわざるを得ない。

しかしながら、弁護人に関する部分は、この時期は、被告人の弁護人らは活発な弁護活動を行っているときであり、したがって警察官が弁護人の存在を疎ましく思っていたとしても不思議ではないことからすれば、被告人の右供述にも説得力を感ずるものがあり、また、武田は、「九月五日に検察庁へ被告人を押送する車中で、被告人から弁護人は選任しないという趣旨の話があったことから、検察庁で被告人が弁護人と面会する際に、冗談めかして、『お前さっき選任せんというてたのに選任するんか。』と言った。」旨証言するが、同人らの前記認定のような八月三日、四日の橋本署での取調方法や鑑別所での取調方法に加えて、鑑別所入所中の取調において、丙院の放火について否認を通された後のことであることなどからすれば、弁護人選任に関する被告人と警察官とのやり取りが単なる冗談であったか疑わしい。

(三)  したがって、この間に少なくとも弁護人依頼権については、警察官においてこれを侵害するような言辞を用いた可能性を否定できない。

10 昭和六三年九月一一日、一二日

(一) 前記三の15で認定したとおり、このころ、警察官の取調に対し、被告人が、一時丙院の放火を否認しているところ、被告人はその際の警察官による取調について、大要次のとおり供述する。

すなわち、「畑下から丙院の放火について自供書を書くようにと紙を渡されたため、畑下の前で、これに一時間以上をかけて丙院の放火を否認する内容のものを四、五枚書いたところ、畑下、武田、阪本の三名に怒られ、阪本から、『お前は痛い目に遭わせなければ正しいこと言わんのか。』と拳を構えたように感じで脅され、二、三回机を叩くなどされた。」というのである。

(二) これに対し、畑下、武田及び阪本は、大要次のとおり証言する。

すなわち、「九月一一日に被告人が、『書いてもええですか。』と言ったので、白紙を渡したところ、山の絵や三角、四角などの形しか書かず、午後長時間お経を読んだ後、丙院の放火を否認したことから、自ら認めたのになぜ否認するのかと追及したところ、結局、やったことは間違いないが認められないと供述するに至った。しかし、翌一二日、検察庁での検事調べの後、橋本署に戻ってから、被告人が阪本に話があるというので、房から出して阪本が事情を聴いたところ、押送の途中、係員から安養院の住職の話を聞き、検事の前でも言えるようにする旨申立て、丙院の放火を自供したため、畑下が交代して取り調べた。」というのである。

(三) ところで、取調状況が被告人の供述するとおりだとすれば、傍らにいた畑下は、被告人の書く内容を容易に見ることができたにもかかわらず、約一時間もの間、被告人が否認の内容の自供書を作成していることに気付かなかったか、気付きはしたものの被告人が書くにまかせ、これを手を拱いて傍観していたということにならざるを得ないが、そのようなことは自供書の作成を指示した者の態度としては不自然であって、取調状況についての被告人の供述を全面的に信用することはできない。

(四) しかしながら、前記三の16で認定したとおり、被告人は、昭和六三年九月一三日の検察官の取調に対し、丙院の放火はやっていないが、自白した内容の調書を作成して欲しい旨の極めて特異な供述をしており、このことは、畑下、武田及び阪本の供述する、前日の九月一二日に、被告人から自発的に、検察官の前でも話せるようにすると申立てた、という経緯とは相容れない言動であり、他方、被告人が供述する、相当厳しい取調がなされたという経緯とは、よく符合するといわざるを得ない。

(五)  したがって、この両日の橋本警察署での警察官の取調において、大要被告人の供述に沿うような、相当厳しい取調が行なわれた疑いを否定できない。

11 昭和六三年九月一三日ないし一九日

一件記録によれば、この間、被告人に対しその意に反する供述を強要するような取調が行われた事実はないことが認められる。

12 昭和六三年九月二〇日、二一日

(一) 被告人は、この間の取調の状況について、大要次のとおり供述する。

すなわち、「九月二〇日、取調担当の警察官が、畑下から別の警察官に代わり、丙院の放火を否認すると、その警察官から、甲院に宿泊客が来なくなるように厭がらせをするなどと脅され、更に翌二一日には、阪本から、『大門からずうっと手錠はめて引っ張ったまま見せ物みたいにして丙院の前まで行って、そこで土下座さす。』などと脅された。」というのである。

(二) ところで、一件記録によれば、前述のとおり、九月一三日の検察官の取調に対し、被告人が丙院の放火はやっていないが、自供した内容の調書を作成して欲しい旨述べたことから、検察官において、警察官に対しその取調状況をテープ録音するように指示した結果、同月一七日の午後の取調以降、警察官により取調状況がテープ録音されているが、右録音は、検察官の指示により、警察官の取調における被告人の供述の任意性を担保することを目的として行なわれるものであるから、録音は取調の全般について行なうとともに、その録音状況等に細心の注意を払い、取調の一部について録音をしなかったり、録音不良といったことのないよう配慮されてしかるべきであるのに、現実のテープ録音は、一件記録によれば、取調時間と録音テープの時間が一致せず、取調の一部について録音していない疑いが強いばかりか、録音された内容が聞き取れなかったり、取調の途中でテープが終了してしまい、次に録音を開始するまでの間に相当程度時間が経過していることが多数回に及ぶなどしていることが認められ、その録音状況はずさん極まりないものといわざるを得ず、したがって、テープに録音された取調の状況が被告人に対する取調状況のすべてであるとは到底認められず、むしろ、被告人が供述するような捜査官による暴行脅迫が、テープに録音されていない間になされた可能性をあながち否定できない。

(三)  そして、一件記録によれば、このころ、被告人は、警察官から、検察官に対しても丙院の放火を自白するよう説得されていた上、押収してある録音テープ一五本(昭和六三年押六六号の二)中のNO.8のテープ(反訳は弁一二号証四九頁以下)によれば、九月二一日の午前中の取調において、取調警察官は、被告人が警察官に対して自白しながら、検察官には否認する理由について執拗に追及する過程で、被告人に対し、「丙院もこれから連れていったときに、人払いせえへんぞ。」「どんなお前態度とろうが、嫌やと言って動かんでも構わん。みんなの見ている前でやってもらわなしゃぁない。」「そこまでお前、度胸ないやないか、アホ。」などと述べていることが認められる上、現に、前記三の18で認定したとおり、九月二一日の夕方行なわれた、丙院での犯行再現の実況見分後の検察官の取調に対し、被告人がそれまで検察官に否認していた丙院の放火を、調書の署名は拒否したものの自白していることをも考え合わせると、九月二〇日及び二一日の警察官の取調において、被告人の供述に類するような取調官の言動があった疑いを払拭できない。

13 昭和六三年九月二二日

前記録音テープ一五本中のNO.11のテープ(反訳は弁一五号証一三頁以下)によれば、この日の夜間の取調において、取調警察官は、前日被告人が検察官調書に署名しなかった点を追及する過程で、被告人に対し、突然警察官の方から「お前、あれか、保釈で出たいんか。」などと保釈の話を持ち出し、「出たないです。そんなもん、もしか出れるとしても、中途半端に出てまた入らなあかんのやったら出られんほうがましです。」と保釈で出ることに消極的な被告人に対し、丙院の取調が終らなければ、保釈は意味がない趣旨のことを言った後、「どうですかと聞かれて、いや、全部間違いありませんよと言うたら、それで審理しますと言うたら、次の保釈のときにひょっとしたら出られるかも分からん。」「保釈ちゅうのは終らなんだら出られへん。」などと、さらには、それまでに弁護人が申立てた準抗告が棄却されたことなどを挙げて暗に弁護人の無力をほのめかした後に「後は保釈で出たいんやったら……。出たないんやったらそれでもええよ。お前が弁護士さんと話することやからな。」と丙院の放火を認めれば保釈で出られるかもしれないことを告げ、「それも何も検事さんの腹なんや。これは警察が保釈してくれと言うて出すものと違う。」「検事さんに『出してやってよ。』と言いに行くわけでしょう。『あかん。』と言うたら終わりや。」などと保釈が認められるか否かは検察官の腹しだいであるという話をしており、必ず保釈が認められるという保証まではしていないものの、検察官にすべて自供しなければ保釈の可能性はないといった趣旨のことを巧妙に告げ、保釈という利益をもって被告人を誘導し、検察官に対しても丙院の放火を自白するよう仕向けていることが明らかに認められる。

14 昭和六三年九月二三日以降

一件記録によれば、この日以降特段被告人にその意に反する供述を強要するような言動はなかったことが認められる。

五 別表一の被告人の供述調書及び自供書の証拠能力

1 別表一、番号一ないし七について

前記四の1ないし4で認定したとおり、昭和六三年七月一五日から同年八月二日までの警察官の取調を、被告人が厳しいものと感じていたことが窺われるが、取調警察官において被告人にその意に反する供述を強要した事実はなく、したがって、この間に作成された別表一、番号一ないし七の各供述調書中の供述は、任意になされたものと認められるから、右各供述調書には証拠能力が認められる。

2 別表一、番号八ないし一〇について

前記四の5で認定したとおり、昭和六三年八月三日及び四日の警察官による取調においては、被告人にその意に反する供述を強要するような厳しい取調が行われたと疑うに足る合理的理由があり、この間に作成された司法警察員に対する供述調書(別表一、番号八)及び自供書(同番号一〇)中の供述は、右供述強要の影響の下になされたもので、いずれの供述も任意になされたものではない疑いを払拭できないから、右供述調書及び自供書は、証拠能力がない。

しかし、別表一、番号九の検察官に対する供述調書は、右期間中に作成されたものではあるが、取調の対象は甲院の放火に関する事項であり、かつ被告人は、この時には検察官に対しては未だ丙院の放火を自白していないのであるから、この期間における警察官による供述の強要は、被告人の検察官に対する供述には影響を及ぼしておらず、検察官の取調においては供述の自由を有していたものと認められるから、検察官に対する供述を録取した右供述調書の任意性に疑いはなく、証拠能力が認められる。

3 別表一、番号一一ないし一三について

前記四の9で認定したように、昭和六三年九月三日、被告人は、拘置支所から橋本署へ戻るや、たいした追及もされていないのにもかかわらず、それまでの供述を変更して丙院の放火を自白するに至っていることから窺われるように、それ以前の橋本署及び鑑別所における警察官の取調により、被告人にとって、橋本署における警察官の取調自体が、被告人の供述の自由を制約する存在となっていたと認めざるを得ない上、前記四の10で認定したとおり、更に警察官による厳しい取調が行なわれていることからすれば、橋本署における司法警察員に対する供述を録取した別表一、番号一一及び一二の各供述調書中の供述は、任意になされなかった疑いがあるから、右各供述調書は証拠能力がない。

しかし、別表一、番号一三の検察官に対する供述調書は、右期間中に作成されたものではあるが、取調対象は乙院の放火に関する事項であり、かつ被告人は、昭和六三年九月一三日の検察官に対する取調において、警察官に対する供述と異なり、丙院の放火を否認していることからすれば、未だ検察官に対しては供述の自由を有していたものと認められ、したがって、検察官に対する供述を録取した右供述調書の任意性に疑いはなく、証拠能力が認められる。

4 別表一、番号一四ないし一七について

前記四の12のとおり、昭和六三年九月一七日以降、警察官による取調において、警察官による暴行、脅迫がなされていないことの担保として、取調状況をテープに録音することを開始したが、現実には右テープ録音が任意性を担保するには全く不十分であったことは前記のとおりであるが、一件記録によれば、テープ録音を行なうようになって二日目の昭和六三年九月一八日において、早くもテープ録音をしていない取調が行なわれていることが認められることからすれば、既にこの時点で被告人においてテープ録音が取調の全般について行われるものではなく、取調警察官に都合の悪い部分は録音されないなどの危惧を抱くなど、テープ録音が自己の防御には不十分なものであるとの認識を持ち、依然として取調警察官に対する畏怖の念を持ち続けていた疑いが強いから、テープ録音の開始が、それまでの取調の影響を遮断し、失っていた警察官の取調における供述の自由を回復したと認めることはできず、したがって、テープ録音開始後の警察官の取調における供述を録取した別表一、番号一四及び一六の各供述調書も、それまでの警察官の取調による供述強要の影響が残存し、そのため任意でない供述をした疑いがあり、証拠能力を欠くものといわざるを得ない。

他方、別表一、番号一五及び一七の検察官に対する各供述調書は、取調対象はいずれも乙院の放火に関する事項であり、かつ前記四の11及び12によれば、昭和六三年九月二〇日に至るまで、検察官による取調において検察官自身が供述を強要した事実がなく、被告人も、検察官に対しては丙院の放火についての否認を維持していることからすれば、警察官による取調の影響が検察官に対する被告人の供述には影響していないと認められるから、検察官に対する供述を録取した別表一、番号一五及び一七の各供述調書は、証拠能力を認めることができる。

5 別表一、番号一八ないし二七について

前記四の13で認定したとおり、昭和六三年九月二二日の警察官の取調において、保釈の件で被告人に利益誘導がなされており、右の利益誘導は著しいものであって、既に二か月以上にわたり身柄を拘束され、しかも、前記のような厳しい取調を受けていた成人になってひと月も経っていない被告人が、右誘導に乗り、検察官に丙院の放火を自白すれば保釈されるのではないかとの期待を抱き、その結果警察官に対してだけでなく、検察官に対してもその意に反する供述をせざるを得ない心理状態に陥った疑いが強く、したがって、右保釈の話による利益誘導がなされた以降の各供述調書中の供述は、取調をしたのが警察官か検察官かを問わず、いずれも任意になされなかった疑いがあり、右各供述調書には証拠能力がない。

6 別表一、番号二八ないし三一について

前記二の5のとおり、被告人は一〇月七日に拘置支所に移監され、また、前記三の22のとおり、一〇月一三日の勾留質問で、被告人は、裁判官に対し丙院の放火を否認できていることからすれば、被告人は前記保釈によるものを含め、これまでの供述強要の影響から脱したのではないかと考えられなくもないが、この時期、被告人は長期にわたる身柄拘束や前記のような厳しい取調を受けて、警察官は言うに及ばず、検察官に対する信頼をも失っていたと認められ、被告人の意識に、否認すればまた橋本署に移監されるのではないかとの恐れがあったことも否定できないから、被告人はもはや警察官及び検察官の取調に対し、自由な供述ができる心理状態になかった疑いが濃厚であり、したがって、裁判官に否認した後の取調での被告人の供述を録取した別表一、番号二八ないし三一の各供述調書もまた、その任意性に疑いがあり、証拠能力がない。

7 別表一、番号三二ないし三五について

前記三の24のとおり、被告人は昭和六三年一〇月一七日の検察官の取調では丙院の放火について黙秘に転じていることからすると、前記6の時点よりは、同日以降の被告人の供述には自由が回復されてきているようにも考えられるが、他方、それにもかかわらず、警察官には自白を維持していることや、検証のためとはいえ、その直前の一五、一六日の両日橋本署に移監されていることなどからすれば、被告人は、未だ警察官に否認をすると、再び橋本署に身柄を移されるのではないかと恐れていた可能性を否定できず、結局これまでの警察官の取調によって受けた供述強要の影響を被告人が完全に脱したと認めることはできないから、警察官に対する供述を録取した別表一、番号三二及び三三の各供述調書もまた任意性に疑いがあって、証拠能力がない。また、昭和六三年一〇月一八日は、被告人が、一旦検察官に丙院の放火を自白した後、初めて検察官に黙秘した翌日であって、未だ被告人の黙秘の態度が固まっていたとまでは認められず、この日には警察官の取調もあって、その際には自白していることからすれば、この日の検察官に対する供述も任意になされなかった疑いがあり、これを録取した別表一、番号三四及び三五の各供述調書には証拠能力がない。

8 別表一、番号三六について

前記三の26のとおり、被告人は、昭和六三年一〇月一九日以降検察官に対し黙秘を維持しており、それから一週間以上経過した同月二七日の時点では、黙秘の態度を既に固めているものと認められること、一件記録によれば、このころには、もはや警察官による取調は行なわれていないこと、更に、別表一、番号三六の供述調書では、被告人は丙院の犯行状況について黙秘しており、罪体に直接関係のない事項についての供述部分があるに過ぎないことからすれば、被告人は、右調書作成時の取調においては、供述の自由を回復していたもので、右供述調書中の供述は任意になされたものと認められるから、右供述調書には証拠能力が認められる。

第三 結論

以上の次第であるから、別表一、番号一ないし七、九、一三、一五、一七及び三六については、証拠能力があるものと認めてこれを採用して取り調べることとし、別表一、番号八、一〇ないし一二、一四、一六及び一八ないし三五については、証拠能力がないからその請求を却下することとする。

(裁判長裁判官瀧川義道 裁判官荒木弘之 裁判官新谷晋司)

別表一

番号

作成者

作成日

(昭和六三年)

立証趣旨

検察官

請求番号

(乙)

司法警察員

七月一五日

甲院の放火状況、動機、七月一五日付け

警察官調書の存在及びその内容

五九

右同

七月一六日

丙院の犯行状況等(自白)

二三

右同

七月一九日

生活状況

右同

七月二〇日

甲院の犯行動機及び犯行に至る経緯

右同

七月二二日

丙院の犯行状況等(自白)

二四

右同

七月二三日

甲院の犯行に至る経緯

右同

七月二四日

甲院の犯行状況及びその後の状況

右同

八月三日

丙院の犯行状況等(自白)

二五

検察官

八月四日

甲院の放火の動機

一一

一〇

被告人

右同

丙院の犯行状況等(自白)

二六

一一

司法警察員

九月八日

乙院の犯行状況(自白)

一三

一二

右同

九月一二日

丙院の犯行状況等(自白)

三一

一三

検察官

九月一三日

乙院の犯行状況(自白)

一九

一四

司法警察員

九月一八日

丙院の犯行状況等(自白)

三三

一五

検察官

九月一九日

乙院の犯行状況(自白)

二〇

一六

司法警察員

右同

丙院の犯行状況等(自白)

三二

一七

検察官

九月二〇日

乙院の犯行状況(自白)

二一

一八

右同

九月二三日

右同

二二

一九

右同

右同

丙院の犯行状況等(自白)

四二

二〇

右同

右同

右同

四四

二一

右同

九月二五日

右同

四五

二二

司法警察員

九月二七日

右同

三四

二三

検察官

九月二九日

右同

四六

二四

司法警察員

一〇月八日

右同

三五

二五

右同

一〇月一一日

右同

三六

二六

右同

一〇月一二日

右同

三七

二七

検察官

一〇月一三日

右同

四七

二八

右同

右同

右同

四八

二九

司法警察員

一〇月一四日

右同

三八

三〇

右同

右同

右同

三九

三一

検察官

右同

右同

四九

三二

司法警察員

一〇月一七日

右同

四〇

三三

右同

一〇月一八日

右同

四一

三四

検察官

右同

右同

五一

三五

右同

右同

右同

五二

三六

右同

一〇月二七日

丙院の犯行

状況等(黙秘)

五七

別表二 取調状況一覧表

取調日

(昭和六三年)

取調官

供述状況

請求された供述調書等

(検察官請求番号乙)

〈主な供述事実〉

取調場所

備考

七月一五日

×

×

員面(五九号)〈甲〉

高野幹部派出所

七月一六日

員面(二号※)〈甲〉・員面(二三号)〈丙〉

橋本警察署

午前零時一〇分逮捕

七月一七日

検察庁

勾留

橋本警察署

七月一八日

右同

七月一九日

員面(三号)〈生活状況〉

右同

七月二〇日

員面(四号)〈甲〉

右同

七月二二日

右同

検察庁

七月二二百

員面(二四号)〈丙〉

橋本警察署

七月二三日

員面(五号)〈甲〉

右同

七月二四日

員面(六号)〈甲〉

右同

七月二五日

検察庁

橋本警察署

七月二六日

右同

勾留延長

七月二七日

高野山

現場検証

七月二八日

橋本警察署

七月二九日

右同

七月三〇日

右同

七月三一日

員面(八号※)〈甲〉

右同

八月 一日

員面(七号※)〈甲〉

右同

八月 二日

×

×

検面(九号※)〈甲〉

検察庁

八月 三日

×

検面(一〇号※)〈甲〉

右同

員面(二五号)〈丙〉

橋本警察署

八月四日

右同

検面(一一号)〈甲〉

検察庁

自供書(二六号)〈丙〉

橋本警察署

八月五日

右同

少年鑑別所へ移監

八月九日

×

員面(二七号※)〈丙〉・員面(二八号※)〈丙〉

少年鑑別所

八月一一日

×

員面(二九号※)〈丙・乙〉

右同

八月一二日

右同

八月一三日

×

右同

八月一五日

×

員面(三〇号※)〈丙〉

右同

八月一六日

×

右同

八月一九日

×

右同

八月二〇日

×

右同

八月二二日

×

右同

八月二三日

×

右同

八月二五日拘置支所へ移監。

八月三〇日

検察庁

九月一日甲院起訴。

九月三日

橋本警察署

拘置支所より移監。逮捕。

九月四日

右同

九月五日

右同

検察庁

九月六日

員面(一二号※)〈乙〉

橋本警察署

勾留

九月七日

員面(一四号※)〈乙〉

右同

九月八日

員面(一三号)〈乙〉

右同

九月九日

高野山

現場検証

九月一〇日

橋本警察署

九月一一日

右同

このころ司法警察員の取調において一旦丙院について否認する。

九月一二日

右同

検面(一八号※)〈乙〉

検察庁

員面(三一号)〈丙〉

右同

九月一三日

×

検面(一九号)〈乙〉

検察庁

橋本警察署

九月一四日

右同

勾留延長

九月一五日

員面(一五号※)〈乙〉

右同

九月一六日

員面(一六号※)〈乙〉

右同

九月一七日

員面(一七号※〉〈乙〉

右同

九月一八日

員面(三三号)〈丙〉

右同

九月一九日

右同

×

検面(二〇号)〈乙〉

検察庁

員面(三二号)〈丙〉

橋本警察署

九月二〇日

検面(二一号)〈乙〉・検面(四三号※)〈丙〉

検察庁

橋本警察署

九月二一日

右同

検察官調書の署名は拒否

右同

九月二二日

右同

九月二三日

右同

検面(二二号)〈乙〉・検面(四二、四四号)〈丙〉

検察庁

橋本警察署

九月二四日

右同

乙院起訴。

九月二五日

右同

検面(四五号)〈丙〉

検察庁

橋本警察署

九月二六日

右同

九月二七日

員面(三四号)〈丙〉

右同

九月二八日

右同

九月二九日

右同

検面(四六号)〈丙〉

検察庁

九月三〇日

橋本警察署

一〇月 一日

右同

一〇月 二日

右同

一〇月 三日

右同

一〇月 四日

右同

一〇月 五日

右同

一〇月 六日

右同

一〇月 七日

右同

拘置支所へ移監

一〇月 八日

員面(三五号)〈丙〉

拘置支所

一〇月一一日

員面(三六号)〈丙〉

右同

逮捕。

一〇月一二日

員面(三七号)〈丙〉

右同

一〇月一三日

検面(四七号)〈丙〉

検察庁

勾留

勾留質問時、

裁判官に対して丙院を否認。

拘置支所

検面(四八号)〈丙〉

右同

一〇月一四日

員面(三八、三九号)〈丙〉

右同

検面(四九号)〈丙〉

右同

一〇月一五日

橋本警察署

現場検証

一〇月一六日

右同

一〇月一七日

員面(四〇号)〈丙〉

拘置支所

検面(五〇号※)〈丙〉

右同

一〇月一八日

員面(四一号)〈丙〉

右同

検面(五一、五二号)〈丙〉

右同

一〇月一九日

右同

検面(五三号※)〈丙〉

右同

一〇月二〇日

右同

検面(五四号※)〈丙〉

右同

一〇月二一日

右同

勾留延長

一〇月二二日

右同

検面(五五号※)〈丙〉

右同

一〇月二四日

検面(五六号※)〈丙〉

右同

一〇月二七日

検面(五七号)〈丙〉

右同

一〇月三一日

検面(五八号※)〈丙〉

右同

一一月一日丙院起訴。

1 取調官欄の「員」は司法警察員を、「検」は検察官をそれぞれ意味し、○印は、当該印のある取調官が取り調べたということを意味する。また、同一日付に複数の取調官が取り調べた場合については、取調開始時間の早い順に右列から印を付してある。

2 供述状況欄及び請求された供述調書等の欄の「甲」は甲院を、「乙」は乙院を、「丙」は丙院をそれぞれ意味する。

3 供述状況欄の○印は、当該印のある欄の事実について自白したことを、×印は、否認したことを、「黙」は黙秘したことをそれぞれ意味するが、印がないのは、その事実について供述をしなかった場合と供述したか否かが確定できない場合を含む。

4 請求された供述調書等の欄の「員面」は司法警察員に対する供述調書を、「検面」は検察官に対する供述調書をそれぞれ意味する。また、検察官請求番号の後に※のある調書は、弁護人の同意があり既に取調済のものである。

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